切手の思想家たち2022

世界の切手のうち、思想家・科学者・芸術家を中心に人物切手について自由に書きます。題名は故・杉原四郎先生の『切手の思想家』(未来社)をリスペクトしてつけました。

中央アフリカ帝国のレーニン切手

英国の代表的な切手カタログ「ギボンズ」の発行元から出ている「ギボンズ・スタンプ・マンスリー」をたまに切手の博物館で興味のある記事だけコピーして読んでいる。ちょっと前になるが2020年11月号で、いわゆるデッドカントリーの切手を扱っている連載にレーニン切手が紹介されていたので興味深く読んだ。著者はジョン・ムーディ氏。

 

中央アフリカ帝国は、クーデターをおこしてからその後、中央アフリカ共和国で独裁政治を行っていた大統領のジャン=ベデル・ボカサが、自ら皇帝と称して、1976年から79年にかけて存在していた国である。かなり苛烈な独裁政治で、多くの人が粛清された。この過酷な独裁制はやがて打破されるのだが、その短い帝国の期間にかなりの量の切手が発行されている。共和国時代と帝国と統治者が一緒なので、国家の仕組みも基本同じで(単に皇帝が巨額の経費で戴冠式をしたことが目立つ)、そのためか印刷所も同じ、海外の切手生産を行うエージェント系の企業が行っていた。しかし例外があって、それはレーニンの肖像や家族らを描いたロシア革命60周年記念切手6種とその小型シートである。これらは旧ソ連

モスクワにあった国家印刷所で作成された。以下のレーニン切手がそれである。

f:id:tanakahidetomi:20210103145328p:plain

 

残念ながら小型シートの方はいまだに入手していない。70-80年代にはアフリカ諸国でレーニン切手が発行されているが、その中には小型シートもあるのだが、市場にはあまり出回っていない珍しいものがある(ただ価格は高くはない)。

 

愛国切手

今月号(2020年12月号)『郵趣』の内藤陽介さんの連載「日本切手150年の歩み」で紹介されていた戦前に出た愛国切手。日本最初の寄附金付き切手。

相変わらず自分の所有しているものをご紹介。

 

内藤さんの解説を読んで、日本における寄付の意識がまだ戦前では、少なくとも切手というメディアを通じては国民の多数になじみがなかったことがわかる。愛国切手は、図案は日本アルプス上空のダグラス機を描き、航空事業の促進にその寄付金は利用された。ただしもともとは福祉・医療関係への寄附を狙ったものだが、これが当時、お役所に理解されなかった。詳しくは内藤さんの記事を参照のこと。

 

f:id:tanakahidetomi:20210103012114j:plain

 

第一次国立公園切手「富士箱根国立公園」

謹賀新年。最近、切手研究用ブログはさぼりぎみでしたが、気合をいれて、紹介の遅れた先月号(2020年12月号)『郵趣』の内藤陽介さんの連載「日本切手150年の歩み」で紹介されていた第一次国立公園切手「富士箱根国立公園」。相変わらず自分の所有しているものをご紹介。

 

f:id:tanakahidetomi:20210101205003j:plain

 

1936年に発行されたこの四枚のうち、赤い6銭以外は写真家の岡田紅陽の写真からデザインをとってきたもので、戦後の第二次よりも個人的にはこちらの四種類の方が好きかもしれません。内藤さんの記事にはさらに詳細な解説があるので関心をもたれた方はぜひご一読ください。

 

2020年のエジプト切手(タラアト・ハルブとミスル銀行100年他)

郵趣サービス社の国別切手頒布会には、アメリカとエジプトに加入している。研究対象がマルクスレーニン切手や人物切手なので、国別はそれほど凝っていない。エジプト切手は、日本国内に入る絶対量は不足しているので、どうも『郵趣』では積極的には掲載せずに、頒布会で確実に提供する感じではないかな、と思う。

 

今月の頒布された切手は以下。

f:id:tanakahidetomi:20201206164257p:plain

上段右から。フランコフォー二50年、アラブ連盟75年、国勢調査、汎アフリカ郵便連合40年、下段は、ミスル銀行100年

 

上段右から。フランコフォー二50年、アラブ連盟75年、国勢調査、汎アフリカ郵便連合40年、下段は、ミスル銀行100年になります。エジプトの切手は派手さはほぼないのですが、今回のミスル銀行100年は経済学者で実業家でもあるタラアト・ハルブが設立した民族銀行です。エジプトの産業化の勃興期に大きな貢献をしています。その後、国営化されて現在に至っています。

 

ミスル銀行のエジプト経済への当初の貢献は以下の論説に詳しいです。

https://www.ide.go.jp/library/Japanese/Publish/Download/Report/2018/pdf/2018_2_40_007_ch02.pdf

エミリウス・ベレンツェンによる女優ヨハネ・ルイーズ・ハイベルクの肖像画

ヨハネ・ルイーズ・ハイベルク (1812-1890) は19世紀のデンマークの著名な女優で、その自叙伝もいまだに読まれているらしいが(未読)、特にキルケゴールの有名な著作「危機および一女優の生涯における一つの危機」のその「一女優」としての方が日本では馴染みが深いだろう。今日は、そのヨハネ・ルイーズ・ハイベルクを描いた実に美しい2012年のデンマークの切手を。

f:id:tanakahidetomi:20201109014215p:plain

エミリウス・ベレンツェン(1799–1868)の作品をデザインしたもの。デンマークの切手は北欧の切手の大半がそうであるようにレベルの高いものが多いですね。

年賀切手(1935年)

今月の『郵趣』の内藤陽介さんの連載「日本切手150年の歩み」は、日本最初の年賀切手についてだった。

 

f:id:tanakahidetomi:20201031235551j:plain

 

この切手は拡大するとかなり味わいのあるもので、題材は渡辺崋山の「富嶽之図」から採用し、内藤さんの解説だと切手原画には、もともとの崋山の作品に描かれていた雲間に飛ぶ三羽の鳥も描かれていたという。さすがに印刷されたものは、内藤さんが書かれていたように見出すのは難しい。

 

この切手には小型シートがあるが、それはまだ持っていない。今回の連載では当初案にあつた大黒天やねずみの切手デザインが紹介されていたり、当時の日本の海外領からの年賀状やまた銘版付き切手など知らないことが多く楽しめた。

 

ヨハン・シュトラウス2世

今日は、「美しき青きドナウ」などのワルツで知られるオーストリアの作曲家、ヨハン・シュトラウス2世(1825年- 1899年)の誕生日でした。というわけで以下の切手を。

 

f:id:tanakahidetomi:20201025231913p:plain

 

両方ともオーストリアで出された切手で、特に左側の1967年に発行された「美しき青きドナウ」作曲100周年切手は、名品の多いオーストリア切手の中でも好きな一枚です。同曲はもともと1866年の普墺戦争の敗北を経験した国民を慰撫するために作曲されたものですが、当初はあまり人気が出ず、パリ万博で高い評価を得たとのことです(飯島恒雄『四角い500の旅人たち』)。

 

ただ僕には「美しき青きドナウ」は、やはりキューブリックの『2001年宇宙の旅』の宇宙ステーションとそこに向かう宇宙船のワルツとして印象が深いものでもあります。

 

右はシュトラウス2世の肖像切手。未使用のものも持っていますが、ここでは使用済みで渋く。

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/91/Strauss%2C_An_der_sch%C3%B6nen_blauen_Donau.ogg