バールーフ・デ・スピノザの破門の日と経済学との関連(情念の制度を通じたコントロール)
今日は、スピノザ(1632-1677)が1656年にユダヤ人の共同体から破門された日です。スピノザは17世紀を代表するオランダの哲学者で、今でも主著『エティカ』などの著作は、日本でも愛読されています。
彼がなぜユダヤ人の共同体から破門になったのか、それ自体は思想的に大きな事件で、その経緯などは清水礼子『破門の哲学』(みすず書房)を参照にするといいかもしれません。
この切手は、オランダから没後300年(1977年)を記念して発行されたものです。
スピノザは哲学の世界ではもちろん大きな貢献をしていますが、経済学、経済学史の世界ではほとんど本格的な研究対象にはなっていません。
例外的な貢献をしているのが、ハンス・ユルゲン・ヴァーグナー教授の以下の論文です。
“Cupiditate et Potentia: the political economy of Spinoza”,The European Journal of the History of Economic Thought,1:3 autum1994
まだ概要しか読んでないのですが、以下に紹介します。
「スピノザの経済学」を、1)ミクロ的な行動の定式化、2)制度政策 のふたつの観点からみてる。前者はスピノザは、客観的な最適化行動と主観的な効用最大化を分けていて、両者が必ずしも一致しないため、それらを調和させることを課題にした。その調和のキーが「制度」である。制度(客観的な構築物)は、主観的な効用を考慮して発展する。ここに主観と客観の調和がある。そしてスピノザの制度政策とでもいうべきものは、所有権自体の権力関係の変更を求めず、権力行使の主観的なコストの変化を制度政策によってもたらすとしました。ここでいう制度政策とは、例えば、日本でいえば交通量の多い交差点に、信号を敷設することによって信号を守る主観的な機会費用と信号を守らない主観的な機会費用に変化を与えるということでしょうか。
主観的な「欲」Cupiditate を「制度」を利用することで「権力」 Potentiaを抑制することに貢献させるというわけでしょうね。
スピノザと経済学といえば、アルバート・ハーシュマンの『情念と利益』(翻訳:『情念の政治経済学』)での言及が有名で、スピノザは情念を抑制することができるのはさらに強い情念だけだ、という主張を見出したが、それを政治や道徳の領域に持ち出さなかったと指摘しています。ヴァーグナーの論文は、その解釈に変更を加えて、スピノザの情念のコントロールは「制度」を通じて行われると、みなしたところでしょうか。
ざっと書いただけなのでヴァーグナーの論文やハーシュマンの本をさらに読んでまたこの文章を改訂するかもしれません。