吉田一郎と蒙疆(もうきょう)切手
吉田一郎、といってもほとんどの人は知らないだろう。僕も10月号の『郵趣』で、内藤陽介さんの連載「日本切手150年の歩み~郵便創業150年に寄せて」の最新回「逓信記念日制定記念小型シートの発行(1934年)」を読んで改めて想い出した。吉田一郎は戦前の日本の郵趣界の著名人であり、切手商でもあったので郵趣が日本に定着するのを実益もかねて振興に尽力した。僕が彼の人生を知ったのは、やはり内藤陽介さんの名著『外国切手に描かれた日本』(光文社新書)の記述を通してだ。今回の日本で最初の小型シートである逓信記念日制定記念小型シートの発行やその後の彼の「苦闘」は、日本の官僚制の硬直性、知識人たちの高慢さ、日本の占領地政策と郵便事業を理解し、知るうえで有益である。個人的には内藤さんに吉田の評伝を書いてほしいくらいである。
この制定シートは、日本の記念切手の中で指折りの高額切手でもあり、日本の切手をそれほど熱意を込めて集めてないという言い訳からすると(笑)、当然に保有していない。画像は未使用だが、「特印」を押したものが内藤さんの連載に掲載されていて、もし将来買うならば(いつかな? 笑)それを購入したい。
吉田の興味深い人生は、内藤さんの本や連載にまかせるとして、彼は当時の切手政策を担っていた逓信博物館の関係者に接触し、その後その影響力を高めていったが、日本での取り組みは苦難と挫折続きだった。その不屈の精神はものすごい。やがて彼は日本ではなく、当時の蒙疆(もうきょう:内モンゴルの一部)での彼の会社が制作した記念切手発行に至る。吉田の情熱は魅力ある日本の切手、国際的な顔にもなるその切手の魅力を高めようという情熱に裏打ちされていたが、その情熱がほぼ具現化したのが、日本ではなく、むしろ日本の傀儡政権のもとであったことはなんとも表現できないものがある。しかもその情熱の結晶も、日本の官僚たちはちんけな責任回避によって継続させることができなかった。この経緯もぜひ内藤さんの本を参照されたい。
この切手は蒙疆で吉田が手掛けた切手である。蒙古郵電事業五周年切手。蒙疆切手は運よく手元にあるので以下に。
ヒルマ・アフ・クリント
ヒルマ・アフ・クリント (1862–1944)は、スウェーデンの芸術家だが、その作品は日本ではなじみがないかもしれない。僕自身、今年発行された彼女の切手でその存在を初めて認知した。抽象画の先駆者であり、その作品には霊的世界観が反映されているという。
これは今年、スウェーデンから出たヒルマ・アフ・クリントの作品をデザインした単片。他に5作品をおさめた切手帳、それに素晴らしい出来栄えの小型シートや切手帳もある。以下は切手帳。小型シートはまた集めた時に掲載したい。
クリントは、ヘレナ・P・ブラヴァツキーの神智学協会の活動に影響をうけている。僕の神智学の知識は、太田俊寛氏の『現代オカルトの根源』(ちくま新書)とコリン・ウィルソンの『オカルト』ぐらいの知識しかない。それはそれとして、クリントの作品群は検索した範囲でもかなり面白い世界を展開している。
日本語では以下のいくつかのサイトがクリントの貢献を知る上で参考になった。
「JPS航空郵趣研究会展2020 ー飛行機の消印ー」とアメリカ航空切手
先週、切手の博物館で「JPS航空郵趣研究会展2020 ー飛行機の消印ー」に行きました。趣味的には門外漢なので、デッドカントリーの航空切手が未使用で揃っているのに綺麗だな、とか、特にブルーインパルスの医療従事者への感謝飛行のフレーム切手の初日印を集めたリーフが記憶に残ってます。
航空切手といえば、僕がここ数日、揃えたものとしては、アメリカの最初の航空切手です。1918年に出たカーチス・ジェニー機の三枚セット。
日本・海外ともに使用済み切手の方がわりと好きなんだけど、この三枚セットは魚木五夫先生が『アメリカ切手とその集め方』(日本郵趣出版)にも書いているように、消印が汚いものが多く、綺麗な状態のものを集めるのは案外難しい。6セントのものは魚木本にも指摘されてるが、酸化して茶色になってるものが多い。僕のも例外ではない。
ただ子どもの頃は、このアメリカの航空切手はやはり憧れで、当時頻繁にいっていたオームスタンプでも絶対に当分手が届かない切手として君臨していたので(笑)、48年後に!とりあえず手に入ってよかったな、と思う。
この航空切手は有名なエラー切手があって真中の飛行機が逆さになってるものがあり、超高額である。
アメリカ切手は、切手頒布会にも入会したので、新旧こつこつ少年時代と同様に集めていきたい。
ヴェルサイユ条約発効100周年と山形浩生訳:ケインズ『平和条約改訂案』
今年は第一次世界大戦の休戦をうけて開催されたパリ講和会議(1919年)で決議されたヴェルサイユ条約が翌年(1920年)に発効して100年を迎えます。というわけでこの中央アフリカが最近出した記念切手を。
なぜ中央アフリカが? という疑問はあると思いますが、ただ出したかっただけなのかもしれません(笑)。エージェント会社発行のものなので外貨獲得目的です。普通はよほどのことがないと購入しないのですが、この切手はテーマの狙いがマニアックなのと、この小型シートはよくできているので購入しました。切手本体は有名な写真がベースで、左端からイギリスの首相ロイド・ジョージ、イタリアの首相V.E.オルランドオ、フランスの首相G.クレマンソー、そして右端はアメリカ大統領のウッドロウ・ウィルソンである。
シート地は、まず切手本体の下は、おそらくカバーの雰囲気からいってヴェルサイユ条約本体に各国首脳のサインの頁だろうか(間違っていたら助言よろしく)。シート地に描かれたヨーロッパの地図は、なかなか興味深い。基本はパリ講和会議後の「民族自決」を背景にしたヨーロッパ諸国の独立後の領土にそって国名やその国境が描かれている。チェコスロヴァキア、オーストリア、ラトビア、エストニア、ポーランドなどである。ただしソ連はロシア旧領が描かれているだけでおそらく国名がない(見逃してたらごめんなさい)。また1920年初ではウクライナはソ連勢力など各派が入り乱れた激しい内戦状態だったが、地図ではウクライナの版図ははっきり描かれている。
そしてシート地右下方には、ウィリアム・オーペンの作になる「ヴェルサイユ宮殿、鏡の間における講和条約調印、1919年6月28日」からその半分ほどがトリミングされてデザインされていて、この切手シートの威厳を高めている。以下が原画である。
さて、この切手を購入してから数日後、偶然なのだが、山形浩生さんが、ケインズの『平和条約改訂案』を訳したことを知る。
ケインズ『平和条約改訂案』、結局全訳しちゃった。 - 山形浩生の「経済のトリセツ」
翻訳自体はこちら
https://genpaku.org/keynes/revision/keynesrevisionj.pdf
すでにケインズの前著「平和の経済的帰結」も訳があり、これを無料で日本語で読めることは本当に感謝したい。特に『平和条約改訂案』は原著が出たときから、世界的ベストセラーの前著にくらべて地味であり、また部数も少ない。だが、この本の冒頭部分のヴェルサイユ条約をめぐる新聞・政治家・世論の意見を内部の意見と外部の意見にわけて分析する視点は、実に興味深い。前著のときにくらべて、ヨーロッパの世論が落ち着いて、かなりまともになり、また政治家たちも思うほど愚かではないということもわかってきた、そのためか緊急の議論というよりも未解決問題をしっかり把握しようではないか、というケインズの意図がよく伝わる内容である。賠償委員会の具体的な賠償額も決まり、そのためかなり細部にわたる話もある。それと経済学史的には、ケインズの『一般理論』形成に至る初期の段階とクロスする時期で(山形さんも指摘している)、超ヲタク的には興味あるところだろう。それにしてもありがたいことである。ケインズに関心のある人は恩恵を厚くうけるだろう。
香港の“兒童郵票 棋樂無窮”と中国の政治的規制
先月、内藤陽介さんとtwitter上でやりとりした香港の“兒童郵票 棋樂無窮”(児童切手、囲碁などのボードゲーム、2020年)をミニシートタイプでようやく購入。
この香港の切手は、児童とボードゲームのほんわか系の切手にみえて、実は高度な政治的判断が加わっている。なぜならオセロゲームなので子供たちの服は白黒が普通なのに、この切手では茶と白にデザインを変更した。黒が香港でのデモ隊のシンボルだからだ。以下はもともと発表されていたデザイン。
この件については、内藤さんのブログ、そして同じく内藤さんの『WiLL』7月号論説で批判的な観点から検討され、また『郵趣』誌上でも情報が提供されている。こんな切手の誰も気が付かないような細部にも政治的な配慮(言論弾圧系の配慮)をするところが、なんとも知れない空恐ろしさを感じるのは僕だけではないはずだ。
政治的なプロパガンダを研究するためにも切手は有効な素材であることを改めて印象づける事件でもある。歴史的な資料なので購入した。
ユダヤ新年切手1948-1959と強制収容所解放75周年記念切手
今日は、切手の博物館で少しだけ調べものをしましたが、その際にミュージアム・ショップでイスラエルの強制収容所解放75年切手などを購入しました。ちょうど出かける前に以下に紹介するユダヤ新年の切手についてtwitterでつぶやいていたので、やはりこの切手を目にしたからには購入しないわけにはいきません。今年の4月に発行されました。切手本体とタブ付きで、タブの方には、収容施設から出てきた子供たちとそれを「イスラエルの地」に引率するイスラエル兵士、教師が描かれていて、Resurrection(復活)という文字が記されている。ただしこの収容施設はイタリアにあったもので、ドイツ支配地域各地の強制収容所から救出された人たち等が、連合軍に解放された後、パレスチナに入ることを許されず、そのままイタリアなど各地の収容施設にとどめおかれた事績を示しています。つまり強制収容所の「解放」からパレスチナへ向かう真の自由を表現した切手です。切手本体のOpen the gates of Palestina!はその趣旨を鮮明にしています。Resurrection(復活)という言葉は、この「イスラエルの地」での“自由”を意味するのでしょう。
切手本体には、また歴史的に意味のある記述やシンボルが加えられています。英語、アラビア語、ヘブライ語の三か国語で記述されてます。
なおこの切手の背景を理解するには、内藤陽介さんの『アウシュヴィッツの手紙 改訂増補版』と『パレスチナ現代史』、そして『みんな大好き陰謀論』がもちろん役立ちますね。イスラエル郵政の切手発行の趣旨はこのリンク先にあります(英語)。
それと、冒頭にも書きましたが、内藤陽介さんのユダヤ新年のエントリーを読んで、僕も二年前にイスラエルの初期の切手をなぜか専用リーフごと買ってて(陰謀?w)、最初の新年切手からわりと所持しています。他に機会もないし日本では珍しいのでご紹介。
まず1948年の建国の年から。僕の持っているイスラエル切手専用の各リーフには簡単に切手の特徴が解説されてますが、日本語の紹介は今回は省略(笑)。
1949年
1950年
1951年
1952年
1953年
1954年
1955年
1956年
1957年
1958年
1959年