切手の思想家たち2020

世界の切手のうち、思想家・科学者・芸術家を中心に人物切手について自由に書きます。題名は故・杉原四郎先生の『切手の思想家』(未来社)をリスペクトしてつけました。

アルフォンス・ミュシャ

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今日は、アルフォンス・ミュシャ1860年ー1939年、ミュシャはフランス語風で、ムハがチェコ語の発音に近いという)の生誕日。ミュシャは日本でも大人気で、昨年も展覧会が開催されて、ミュシャと日本の文化(与謝野晶子の『みだれ髪』の表紙やマンガとの連結)が強調されてもいました。1970年代後半に、初めてミュシャの作品に魅かれたのですが、その時は今日のような高い評価は日本ではされていなかったのではないでしょうか? 
 
さてミュシャと切手といえば、まず本人がチェコスロバキアの最初の切手「プラハ城切手」などをデザインしたことでも知られています。このプラハ城切手、使用期間が短いのですが、いくつものヴァリエーションやまた偽物も流通していて(すべて集めると分厚いアルバム一冊にはなりそうです)、はてさて僕が持っているのは何なのか(笑)わかりませんが、一応ひとつ掲載してみました。下の画像の真ん中の切手です。

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このプラハ城の背景には巨大な太陽は描かれているのですが、この太陽ひとつとってもミュシャの思い入れがあるようで、そこらへんの分析を含めて、「ミュシャを楽しむために:郵便切手と紙幣」の豊富なリンクと解説以上のものを知りません。素晴らしいまとめで勉強になります。

このプラハ城切手は何十枚かもってはいるのですが、その他にもミュシャのデザインした切手の大半は持っていますので機会があればご紹介したいと思います。
 
 本人没後に、ミュシャ作品をデザインした切手はいまも多数で続けていますが、やはりミュシャ切手といえば、長くこの装飾パネル「四芸術」に題材をとった四枚の切手(1969年)が代表作として知られていました(下の三枚と上に掲載した左端)。僕がミュシャの存在を知ったのもこのシリーズの何枚かを小学生のときに保有していたからです。前年の68年にはポスター「ヒアシンス姫」から題材をとった切手がでています。こちらも素晴らしい出来栄えの切手です。
 
手元にある市川敏之氏の『チェコスロバキア美術館』(えにし書房)によると、ミュシャチェコ同様にスラブ民族が多数住むバリカン半島を旅行しました。その後、彼はパリ万博のボスニア=ヘルッエゴビナ館の装飾を手掛けて、これらの作品を残します。ミュシャの汎スラヴ主義の意識の高まりは、後に大作「スラヴ叙事詩」に結晶していきます(過去の日本での展覧に際してのこの解説記事は有益です)。
 

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いまこの四つの切手をみると、非常に繊細な作品で、そのレベルの高さに魅かれてしまいます。このミュシャ切手の原画は、イラストレーターのJiří Švengsbírイジ―・シュヴェンクスビール(1921-1983)が描いたものです。発行当時の69年は、プラハの春の挫折から一年ほど経過した時でした。
 
写真家ladislav bielikの作品を精緻な凹版(手彫り)で再現した切手(2018年発行、プラハの春50年記念切手)を以下に。題材は1968年のプラハの春を破ったワルシャワ条約機構軍(ソ連中心)によるチェコスロバキア介入時の様子。戦車の前に胸をはだけて抗議する若者。
 

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なお冒頭にあげた右側の切手は、ミュシャの生誕150年を記念するオーストリアからのもの(2010年)です。今年は生誕160年ということになります。
 
なお最近のチェコ経済は以下にまとめた。
 
(余談)このスロバキアプラハの春50年記念切手を入手して、すぐに花崎皋平先生の記念講演を聴く機会があった。花崎先生は内田義彦との関係を講演したのだ。僕もそのときに講演者として共にした。花崎先生にはカレル・コシークの『具体性の弁証法』の翻訳がある。チェコでは全集が最近出ていた。コシークを含むチェコマルクス主義的哲学の流れは以下を参照。