ココ・シャネル
今日は、フランスのファッションデザイナーであり「皆殺しの天使」ココ・シャネル(1883-1971)の誕生日でした。というわけで今日は、フランスで2004年に出たバレンタインのココ・シャネル切手を。
フランスではバレンタインを記念して毎年、ハート形でブランドメーカーの切手を出してますね。ココ・シャネルのこの二枚は、シャネルの象徴ともいえるベージュのスーツ姿の女性とエッフェル塔、そしてなNo.5の香水を描いています。香水の方はハート形が、これもシャネルの画期的な「発明」だったイミテーション・ジュエリーぽく描かれていますね。
ココ・シャネルといえば、僕の知識のほぼ過半を、山田登世子先生に負っていました。モランのシャネル伝の翻訳をはじめ、山田先生のシャネルについての著作は多いのですが、経済学的な視点からは、やはり『シャネルー最強ブランドの秘密』(朝日新書)でしょうか。
山田先生のシャネル観は、彼女に「二重底」を見出すことにあります。それはシャネルのイミテーション・ジュエリーが高価であることに象徴されます。「シャネルの「偽物」は高い、なぜならそれは「本物」のシャネルだからだ」。
偽物であることで、シャネルが1920年代に挑戦したフランスのファッションの中核ー贅沢に着飾り、他者に見せびらかすことを最上位におくことーへ挑戦をし、メンズ的な発想や、また働くこと、動きやすいことを主眼に置き、華美への対立軸を打ち立てました。これはヴェブレン的な「見せびらかしの消費」へのアンチテーゼでしょう。
だが、同時に(アメリカの大衆社会が好むような)安価な大量生産にもまた批判的で、彼女は自らが生み出す「偽物」こそが最も高価でなければならない、ということで安価な大量複製物にも対しました。
また山田先生は、シャネルの「企業家」としての側面に強く注目しています。
シャネルの次の言葉は、彼女のモードに対するビジネス観をあますことなく伝えています。
「モード について は 熱狂的 に 語ら なけれ ば なら ない。 だ が 錯覚 は 禁物。 いちばん 大切 なのは、 ポエジー だの 文学 だ のを くっつけ て 考え ない こと だ。 一枚 の 服 は 悲劇 でも なけれ ば、 絵画 でも ない。 それ は 魅力 的 で つかの間 の 創造 で あっ て、 不滅 の 芸術 作品 などで あり は し ない。 モード は 死な なけれ ば なら ない し、 ビジネス の ため には 早く 死ぬ 方 が いい。」
「モード、それは私だった」、それがココ・シャネルの本音を伝える言葉でもあります。
参考:
ヴェブレンの見せびらかしの消費、アイドルの経済学への含意 | hidetomitanakaのブログ